春が来る
もうちょっと頑張ってみよう。
これで駄目でも、やることはやった。
そう思う日が増えた。
試練の連続。
周りから無理だろうと何度も言われたが、無理だと言われてもピンとこないほど経験が不足していた。
成長には適度な負荷が不可欠だが、これは適度とは言わないだろう。過度だ。
この仕事の果にいったい何があるのだろうかと、半ば虚無感を覚えながら目の前の仕事をこなす。
孤軍奮闘する若者を見て、年長者たちが動き始めた。
結果が出始めて、周りの見る目が明らかに変わった。
人は理屈で動くんじゃないな、感情で動くんだなと思い知らされる。
人の優しさに触れると、感情が高ぶって胸が熱くなる。
2019年!
あけましておめでとうございます。
年のはじめくらいは元気に行こうとタイトルに「!」をつけてみた。
年末に一年を振り返られた方も多いと思うけど、僕もどんな一年だったか考えてみた。
仕事のことを思い返すと凄く密度が濃かったな。12/28に仕事納めをしたときのライフポイントはゼロ。そんな感じ。耐えきった。
自分はまだまだだなあと思う反面、一年前に比べると大分成長したなあって実感はある。
周りの方々からも認めていただくことも増えてきて嬉しい。
ただ2018年は仕事に偏り過ぎだったな。
目の前のことにしか集中できない状況が続いたから、もっと人生の幅を広げたいなって思う。
それだけ余裕がなかったということだけど、今年は仕事の他に熱中できることを増やしたい。僕は努力が好きではないから、興味を持てて夢中になることをして生きたいと思う。
そして、人との関わりを大切にしたい。
人は人と関わることで人生が豊かになると、実感することが増えた。
色々な人とのつながりを増やして、人生をもっと鮮やかにしたいと思っているし、自分にとって大切な人ができたら、それは幸せなことだと思う。
後ろを振り向くと
今年ももう終わろうとしている。
個人的には、会社で1月に本格的な業務が始まりちょうど1年経ったことになる。
仕事の出来はどうであれ、まずは1年頑張った自分を褒めたい。
社会人になって感謝されることはあっても褒められた記憶は少ない。自分でくらい褒めてあげたいのだ。
今年は寂しさが募る一年だった。地方に転勤になり知り合いはおらず、恋人もおらず週末は寂しさを紛らわせるため頻繁に東京で友達と会っていた。
皆、社会人になりもがいている。
これでいいのかと自問しながら懸命に生きている。
年を重ねるとはこういうことなのか。
過去の自分がしてきた選択が、身に降り掛かってくる。
選択することは他の選択肢を捨てることなんだと気づく。
学生時代は星の数ほどあると思っていた未来の可能性は、もう消えてしまったのだと。
辛いことも増えた。
嫌なことも増えた。
何かささやかな幸せを心の拠り所にして、今日だけは頑張ろうっていう朝が増えた。
明日だけは頑張ろうって思う夜が増えた。
大人になるってこういうことなのかなあって思う。そう言ったらそれは違うよって声が飛んできそうだけど。
その果てには
体力の低下は想像していた以上だった。
普段通りに生活しただけで、全身が筋肉痛になるとは流石に予想外だ。
心も体に引っ張られ、もう金曜日になる頃には限界が来ていた。
目が覚めても、体は起き上がることができず、無理矢理にでも活動する精神力も残っていない。
誕生日くらい楽をさせてもらうか、病み上がりだしと思い上司に連絡してまた寝た。
療養に加え、もう無理ができる年齢ではないのだろうか。
誕生日はと言えば、多くの方々が祝いをして下った。Facebook、LINE、Twitter、直接会って祝ってくださった方々など。
こうやって多くの人間関係に恵まれた人生を送れたことは幸せなことなのだろう。
感謝である。
そして、こうやってまた今年も誕生日を迎えることができた自分自身を褒めてあげたい。
辛いことも、苦しいことも多かったけど頑張ってきたのだから。
来る日も来る日も
普段いかに自分の神経が緊張しているかを思い知らされる。
油断していたわけではないが一度離れた職場に復帰するというのはこうも厄介なものか。
ふわふわとした表現しづらい不安、そして根拠不明の罪悪感を感じる。職場を離れたのは決して自分に非がある訳でなく、無理やり理由をつけるとすればむしろ会社の方なのだが。
頭も体も、試運転しているような感じだ。まるで骨折した腕のギプスを外した直後のような。大丈夫だと頭では考えても、心の底ではそう思っていない。
これがメンタルで休職した場合だともっと大変だろうなと思う。
メンタルより先に身体が(修復可能な範囲で)壊れたのは不幸中の幸いだったかもしれない。
会社に入った後業務、勤務地、激務度など割とえらい外れくじを引かされたなあというような環境で半ば意地になっている。
想いだけが残る
思えば、君と一緒に過ごした日々よりも離れて暮らした日々の方が長くなっていた。
君と初めて会ったのは僕が中学1年生の時だったね。
前年に社宅から一軒家に引っ越していた僕たち家族は、犬を飼おうって話していたんだ。
生後3ヶ月の君と初めて会ったのはペットショップだった。
その数日前、僕の両親が一目見て君に決めたんだよ。臆病で、両親を見て震えて後ずさりしたんだって。
優しい店主の個人経営のペットショップにやって来た次の日に、君はうちに来ることが決まったんだ。二人の姉妹はもう他の人の手に渡っていて、男の子の君だけが残っていた。
そうして僕たちの家族の一員になった君だけど、最初は不安でいっぱいだったと思う。
臆病な君には、最初は何から何まで怖かっただろうね。
うちに来てすぐは夜寝るときはクンクン鳴いたし、初めて見るのもがあれば震えてた。
でも、人のことは大好きだった。
きっと、すごく優しいブリーダーさんに、大事に育てられたんだろうね。
散歩していても、他の犬のことは気にならないのに人を見ると尻尾を振って近づこうとするんだよ。
小さい小さい君はすごく優しくて、僕たちをずっと見守ってくれた。君が来て、家族の会話も増えて雰囲気が柔らかくなった気がするよ。
思春期の僕のそばで、一緒に大人になった。ときには君に嫌な思いをさせてしまったかもしれない。ごめんね。
可愛くて、人懐っこくて、パワフルでお茶目で優しい君にナイーブな僕は何度救われただろうか。
君のおかげで家族の笑顔はぐっと増えた。
君は我が家のアイドルで、みんな君のことが大好きだったんだ。
高校を卒業して地元を離れても、ことあるごとに実家に帰ってたよ。
家族と電話するときはいつも君の様子を聞いてたよ。
最期、一緒にいれなくてごめんね。
けど、両親や弟と一緒に過ごせたようで、良かった。
一ヶ月前、帰省したときに会えてよかったよ。お礼を言えてよかった。
帰り際、僕を見送ってくれた君を見たのが、お別れになったね。
君と離れて過ごす日々が日常になっていたから、まだ君がいない実感がないよ。
実家に帰ったら、君が出迎えてくれる気がするんだ。
君が僕たちと過ごした日々を、幸せに思ってくれていたら嬉しい。
ありがとう。
片隅の幸せ
お盆明けの一週間は毎日夜遅くまで会社にいる羽目になった。
連休で鈍った頭と体を少しずつならしていこうと思っていたのだが。
連休明け初日の始業前にはもうその認識は甘かったと悟った。
業務量が多過ぎる。
現場で身体を動かすこともあるし、オフィスで頭を悩ませることもある。
多くの人とコミュニケーションが必要だしとっさの判断を求められることが多く、心身共に疲弊する。
大小かかわらずプロジェクトをマネージメントする立場というのは悩みが多い。
それに加えて技術的課題を解決しなければならないのだからもう完全にパンクし金曜日の夜には表情が死んでいた。
僕はまだ新人の枠を脱することができていない。
初めての業務が多く手探りで、俯瞰的に業務をコントロールできていないのも疲労が増す原因なのだろう。
今週は寮に帰りコンビニで買った弁当を食べて風呂に入って寝るだけという生活だった。
心が荒むと、身体もつかれる。何もしたくなくなる。
そして何より、感受性も鈍る。
自分がなんて酷い扱いを受けているのか、なんて自分は無力なんだ。
そんな考えがが頭を巡る。
過去のこと、未来のことばかりに考えが及び今を生きることはなくなる。
立ち止まり過去を振り返ること、未来を想像し様々な感情を持つことも大事なことだけど、今を生きること、今に意識を向けること。
豊かな人生にそれらは不可欠だと思っている。
そこらへんに転がっている幸せを、見つけられる心を持ちたい。