泡ちゃんのしゅわっと生きようぜ

泡ちゃんのしゅわしゅわしてるブログ

どうにもならない寂しさ

年末年始体調が悪く、ずっと家にいる。

帰省もできず数日引きこもっていたからかもしれないけれど、すごく寂しい。

新年のめでたさとはかけ離れた気分だ。

 

寂しいのは、実家や親族のこと。

両親は還暦を超えた。

大学を中退した弟は未だ働かず資格試験を受け続けている。受け始めて何年たっただろうか。

仲が悪いわけではない。むしろいい方だとは思うけど悩みは尽きない。弟のことで気を揉み続けている。

帰省できず、会えなかったことが寂しさを増しているのかもしれない。

 

父方も母方も、祖父母はもういない。

従兄弟もいない。

 

実際に実家に帰るといつも温かみを感じられるのに、こちらにいると実家が灰色に映ってしまうことがある。

弟が少しでも社会に出ることができれば彩りが戻るのだろうか。

同じ境遇にいる方も周りにおらず、自分の中で抱え込んでしまっている。

 

もっとおじいちゃん孝行したかった、おばあちゃん孝行したかったなと後悔する日々である。

将来、親に対しても思うのだろうか。

 

 

心の麻痺

心の中に霧がかかったような感覚だ。

感受性が失われてしまったような。

 

本を読んでいても理解力が落ちたことを実感する。そして集中力も低下した。

何より鈍った頭でなんとなく理解するだけで感じ取るといったプロセスは抜け落ちている。

 

身の回りで起こったことを受け止める感覚も麻痺している。自分が何を感じているのかがわからない。

 

ストレスなのか、老化なのか、はたまた知らぬ間に平和ボケしたのか。

このままではまずいと思いながらまた怠惰な一日を過ごす。

 

 

 

 

背伸びとさぼり

一年前の自分がしていた仕事を思い返すと、いかに楽だったのかと感じる。

恐らく一年後も同じことを思うのだろう。

憎たらしいほど上手な課長だ。

面白くないとすぐ手を抜きサボる僕に、絶妙なタイミングで僕が背伸びをしないとできない仕事を与えてくる。

大事なのは背伸びをするのをやめないことだと思う。居心地の良さに甘えると成長は止まる。そこからはい上がれるほど人は強くない。少なくとも僕は。

 

今年も長いようであっという間だった。

プロジェクトを担当すると胃がキリキリするようなことも多かったけど、終わってみると自分の子供のような、愛着を感じるようにもなる。

生活していて自分の成果を見ることがあると、感慨深くなる。

 

来年はもっと厳しい環境に見を置くことになる。背伸びではなくジャンプしないと届かないような焦燥感を感じても、地に足をつけること。

 

色々あった1年だったけど、笑って終えられるということはいい1年だったんだと思う。

また来年もそうなりますように。

ではまた。

怖くないわけない でも止まんない

 ここ一カ月で自分の人生が動き始めた。

…と書くと大げさかもしれない。

 だけど大きなチャンスが与えられたのは確かで、これは誰にでも与えられるものではなくて、これまで頑張ってきた自分のためにも生かしたい思う。

    

 挑戦をするときは自分の人生がそれにかかっているかのような感覚に陥る。

 実際は成功体験も失敗体験も人生にとっては大きな肥やしで、取り返しのつかないことは滅多にないのだけど。

 新しいことをするときはいつも怖くて、心躍る気持ちと怖い気持ちが同居している。

 

 

 

燃え尽き症候群?

背水の陣、絶体絶命のピンチを乗り越えた結果、もぬけの殻のようになってしまった。

無表情で会社に行き仕事をして帰るが身が入らない。

これが燃え尽き症候群っていうやつなのだろうか。

頭では分かっていても、心がついてこない。

不安定に身を任せる

やることやって、あとは信じる。

それでだめでも死にはしないさ。

 

主担当として携わった仕事がようやく一区切りついた。

ぎりぎりの日程の中、修羅場の連続で大きなプレッシャーを感じたプロジェクトだった。

当初から無理と言う人もいたし、最後の最後まで失敗と隣り合わせだった。(失敗となるとそれはそれは大変なことになっていた)

それでも不思議と投げ出したくはならなかったのは、もしこれでだめでもやる事はやったと自信を持って言えたからだと思う。

(…周りの人がどう評価するかは別として)

 

要所要所が一日でも遅れると破綻するギリギリの納期の中で、切れぬように張り詰められた心の糸は嵐が去ったここ2週間伸び切って元に戻らなかった。

そろそろ、エンジンをかけ直さないとなと思う。

 

不確実なこの世の中で、自分の力だけではどうしようもないことがいっぱいある。恥ずかしながら社会人になってそれを実感している。

 

学生時代は石橋を叩いても渡れなかった僕が、社会人になって少し楽観的になった。

できない理由を探す前に、1%でも可能性がないか考えるようになった。

こんな経験を糧にしていきたい。

 

 

 

次は夏休みまで

10連休が終わる。

家族や旧友と会えたし旅行もできていい連休だった。連休前の激務でボコボコに凹んだ心身もある程度までは回復した。

…塑性変形した部分はもう元には戻らない。

 

明日からまた騒々しい日々が始まる。

久しぶりに会社に行くと思うだけでも気が重いのに、連休後が忙しいと分かりきってるからもう尚更だ。

普段週末に気分を入れ替えても会社の席に座った途端に気分が萎えて低空モードに入るので、休みが長かろうが多分同じだと思う。

今は自分の力を伸ばす時期だと割り切っているが、頭は騙せても心は正直らしい。

今の部署で手を抜いたことはないが心の深いところで情熱を持てないでいる。

 

もっとわがままになってもいいじゃないかと旧友に言われた。従順すぎるんじゃない?って。

自分ではそんなつもりはなかったけど、確かに言いたいことを言わずに飲み込んだ経験は多い。言えたほうが楽だろうなと思いつつ、相手の機嫌を損ねたり、嫌われるのが怖くて。

 

しかし、社会は優しくもドライだ。

耳障りのいいことを言う上司や人事も大事なのは目の前にいる他人ではなく自分だし、僕が激務で体調を崩したからといって代わりに僕の人生を生きてくれるわけでもない。次の人を探すだけだ。

言いたいことを言わなければ都合よく使われるだけの人生になる。