泡ちゃんのしゅわっと生きようぜ

泡ちゃんのしゅわしゅわしてるブログ

その果てには

体力の低下は想像していた以上だった。
普段通りに生活しただけで、全身が筋肉痛になるとは流石に予想外だ。

心も体に引っ張られ、もう金曜日になる頃には限界が来ていた。
目が覚めても、体は起き上がることができず、無理矢理にでも活動する精神力も残っていない。
誕生日くらい楽をさせてもらうか、病み上がりだしと思い上司に連絡してまた寝た。
療養に加え、もう無理ができる年齢ではないのだろうか。

誕生日はと言えば、多くの方々が祝いをして下った。Facebook、LINE、Twitter、直接会って祝ってくださった方々など。
こうやって多くの人間関係に恵まれた人生を送れたことは幸せなことなのだろう。
感謝である。
そして、こうやってまた今年も誕生日を迎えることができた自分自身を褒めてあげたい。
辛いことも、苦しいことも多かったけど頑張ってきたのだから。

来る日も来る日も

普段いかに自分の神経が緊張しているかを思い知らされる。

油断していたわけではないが一度離れた職場に復帰するというのはこうも厄介なものか。

ふわふわとした表現しづらい不安、そして根拠不明の罪悪感を感じる。職場を離れたのは決して自分に非がある訳でなく、無理やり理由をつけるとすればむしろ会社の方なのだが。

頭も体も、試運転しているような感じだ。まるで骨折した腕のギプスを外した直後のような。大丈夫だと頭では考えても、心の底ではそう思っていない。

 

これがメンタルで休職した場合だともっと大変だろうなと思う。

メンタルより先に身体が(修復可能な範囲で)壊れたのは不幸中の幸いだったかもしれない。

会社に入った後業務、勤務地、激務度など割とえらい外れくじを引かされたなあというような環境で半ば意地になっている。

 

想いだけが残る

思えば、君と一緒に過ごした日々よりも離れて暮らした日々の方が長くなっていた。

君と初めて会ったのは僕が中学1年生の時だったね。

前年に社宅から一軒家に引っ越していた僕たち家族は、犬を飼おうって話していたんだ。

 

生後3ヶ月の君と初めて会ったのはペットショップだった。

その数日前、僕の両親が一目見て君に決めたんだよ。臆病で、両親を見て震えて後ずさりしたんだって。

優しい店主の個人経営のペットショップにやって来た次の日に、君はうちに来ることが決まったんだ。二人の姉妹はもう他の人の手に渡っていて、男の子の君だけが残っていた。

 

そうして僕たちの家族の一員になった君だけど、最初は不安でいっぱいだったと思う。

臆病な君には、最初は何から何まで怖かっただろうね。

うちに来てすぐは夜寝るときはクンクン鳴いたし、初めて見るのもがあれば震えてた。

でも、人のことは大好きだった。

きっと、すごく優しいブリーダーさんに、大事に育てられたんだろうね。

散歩していても、他の犬のことは気にならないのに人を見ると尻尾を振って近づこうとするんだよ。

 

小さい小さい君はすごく優しくて、僕たちをずっと見守ってくれた。君が来て、家族の会話も増えて雰囲気が柔らかくなった気がするよ。

思春期の僕のそばで、一緒に大人になった。ときには君に嫌な思いをさせてしまったかもしれない。ごめんね。

可愛くて、人懐っこくて、パワフルでお茶目で優しい君にナイーブな僕は何度救われただろうか。

君のおかげで家族の笑顔はぐっと増えた。

君は我が家のアイドルで、みんな君のことが大好きだったんだ。

 

高校を卒業して地元を離れても、ことあるごとに実家に帰ってたよ。

家族と電話するときはいつも君の様子を聞いてたよ。

 

最期、一緒にいれなくてごめんね。

けど、両親や弟と一緒に過ごせたようで、良かった。

一ヶ月前、帰省したときに会えてよかったよ。お礼を言えてよかった。

帰り際、僕を見送ってくれた君を見たのが、お別れになったね。

 

君と離れて過ごす日々が日常になっていたから、まだ君がいない実感がないよ。

実家に帰ったら、君が出迎えてくれる気がするんだ。

君が僕たちと過ごした日々を、幸せに思ってくれていたら嬉しい。

ありがとう。

 

 

片隅の幸せ

お盆明けの一週間は毎日夜遅くまで会社にいる羽目になった。

連休で鈍った頭と体を少しずつならしていこうと思っていたのだが。

連休明け初日の始業前にはもうその認識は甘かったと悟った。

 

業務量が多過ぎる。

現場で身体を動かすこともあるし、オフィスで頭を悩ませることもある。

多くの人とコミュニケーションが必要だしとっさの判断を求められることが多く、心身共に疲弊する。

大小かかわらずプロジェクトをマネージメントする立場というのは悩みが多い。

それに加えて技術的課題を解決しなければならないのだからもう完全にパンクし金曜日の夜には表情が死んでいた。

 

僕はまだ新人の枠を脱することができていない。

初めての業務が多く手探りで、俯瞰的に業務をコントロールできていないのも疲労が増す原因なのだろう。

 

今週は寮に帰りコンビニで買った弁当を食べて風呂に入って寝るだけという生活だった。

心が荒むと、身体もつかれる。何もしたくなくなる。

そして何より、感受性も鈍る。

自分がなんて酷い扱いを受けているのか、なんて自分は無力なんだ。

そんな考えがが頭を巡る。

 

過去のこと、未来のことばかりに考えが及び今を生きることはなくなる。

 

立ち止まり過去を振り返ること、未来を想像し様々な感情を持つことも大事なことだけど、今を生きること、今に意識を向けること。

豊かな人生にそれらは不可欠だと思っている。

 

そこらへんに転がっている幸せを、見つけられる心を持ちたい。

心の空

暑さもましになってきて、だいぶ過ごしやすくなってきた。朝は半袖だと少し寒いくらいだ。

 

図ったかのように、長かった夏休みも終わりを迎えた。

明日からまた会社に行かなければならない。

季節の変わり目の精神的不調とサザエさん症候群が心を蝕む。

 

仕事のプレッシャーに押しつぶされそうだ。

単純に、仕事の負荷が急に増えたのが大きい。

配属して半年でプロジェクトを一人で回す立場になった。

経験を積むという口実で何から何までやっている。単純に人がいないからやらざるを得ないのだが同期たちと仕事量が違う気がする。

これだけの仕事を与えられたのは、よく言えばこれまでの自分の仕事ぶりが評価されたとも言えるけど、部署の抱える人不足によってそうせざるを得ないだけの気もする。

 

驚くほど多くの部署の人たち、取引先、更には海外の現地人とやり取りをしなければならずストレスが溜まる。意味不明な理由で怒られることもある。馬鹿じゃねーのこいつと思いながら謝るときもある。この前笑いながら謝っていたらしく後で先輩に注意された。

新人ならではの雑用が降ってくると、ホッとする。楽だから。

 

何やってんだろうと言う気持ちにもなる。

ストレスが溜まると心が荒み攻撃的になることがあり、ツイートも荒れるのはよろしくない。

 

何度修羅場をくぐったか。

これから、それが些細なことに思えるような大変な思いをするのだろう。気が重い。

 

これでもやってこれているのは部署の周りの方々が本当に良くしてくださるからだと思う。彼等も忙しいのに質問すると手を止めて親身になって教えてくれる。

これがなければ僕は潰れていただろう。

 

不思議と隣の芝が青く見えたことはない。

なんだかんだ充実感は感じているのかもしれない。よくわからない。

これでもサービス残業はしていないし、有給も取れる。余程の贅沢をしなければ生活するに困らない給料を貰える。

文句言ったら罰が当たるなあと思わなくもないが吐き出したほうが気が楽になるから吐き出している。

 

高校や大学の同期たちと飲みに行くと「働き方改革」など少しも浸透していない企業で働く人々ばかりだ。 

皆有名大学を出て大手企業で働いているのだが。

官僚が一番忙しそうにしているのだから仕方ないか。

人間は意識から変えようとしても無理だ。まず行動を変えねばならぬ。

 

そういえば、社会人になってから性格が変わったと言われる。

少しは図太くなったらしい。

 

会社で心身を崩すのは避けたい。

そうなる前に助けを求めようと思っている。

プロジェクトも、担当する立場だが責任を持つ立場にいるのはもっと高い給料を貰う人達だ。

会社など無数にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君の分も生きるなんて言えない

学部時代、僕は精神的に追い詰められていた時期があった。

そんな時期に思わぬ悪い知らせが入った。

 

友人が亡くなった。

彼は自ら死を選んだ.

 

一緒によく遊ぶという程では無かったけど、授業や演習等で一緒になったりしてからはよく話したりしていた。

不思議と波長の合う友人だった。

 

学業面でも優秀だったし、真面目で穏やかで僕のつまらない冗談にも笑ってくれる人だった。

 

それぞれ違う研究室に配属されてからは、たまに大学の廊下ですれ違った時に少し話す程度になってしまっていたのだけれど。

 

彼が亡くなったという知らせを聞いて、僕は悲しかった。

僕の状況が状況だったので、彼の死で気が動転してしまった。

精神的に参ってしまっていたからか、死が身近というか、リアルに感じられて辛かったのだと、今になって思う。

 

そして何より、彼がいなくなってしまったことが悲しかった。

彼は、どんなに辛く、苦しかったのだろう。

お互い忙しく接点が少なくなってしまっていたとはいえ、廊下ですれ違った時に変わったことに気がつけてあげていれば・・・なんていうことでも自分を責めてしまう。

 

真面目な彼が、どれだけ苦しい思いをしたのか。

これからだというところで命を失った無念さ。

その人生は彼だけのもので、僕たちが生きることのできない人生。

君の分も生きるなんてことは絶対に言えない。

 

僕にできるのは,自分の「生」を噛みしめて毎日を生きることだ。

彼の死を、彼のことを、僕は一生忘れないと思う.

かあちゃん (講談社文庫)

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