片隅の幸せ
お盆明けの一週間は毎日夜遅くまで会社にいる羽目になった。
連休で鈍った頭と体を少しずつならしていこうと思っていたのだが。
連休明け初日の始業前にはもうその認識は甘かったと悟った。
業務量が多過ぎる。
現場で身体を動かすこともあるし、オフィスで頭を悩ませることもある。
多くの人とコミュニケーションが必要だしとっさの判断を求められることが多く、心身共に疲弊する。
大小かかわらずプロジェクトをマネージメントする立場というのは悩みが多い。
それに加えて技術的課題を解決しなければならないのだからもう完全にパンクし金曜日の夜には表情が死んでいた。
僕はまだ新人の枠を脱することができていない。
初めての業務が多く手探りで、俯瞰的に業務をコントロールできていないのも疲労が増す原因なのだろう。
今週は寮に帰りコンビニで買った弁当を食べて風呂に入って寝るだけという生活だった。
心が荒むと、身体もつかれる。何もしたくなくなる。
そして何より、感受性も鈍る。
自分がなんて酷い扱いを受けているのか、なんて自分は無力なんだ。
そんな考えがが頭を巡る。
過去のこと、未来のことばかりに考えが及び今を生きることはなくなる。
立ち止まり過去を振り返ること、未来を想像し様々な感情を持つことも大事なことだけど、今を生きること、今に意識を向けること。
豊かな人生にそれらは不可欠だと思っている。
そこらへんに転がっている幸せを、見つけられる心を持ちたい。
心の空
暑さもましになってきて、だいぶ過ごしやすくなってきた。朝は半袖だと少し寒いくらいだ。
図ったかのように、長かった夏休みも終わりを迎えた。
明日からまた会社に行かなければならない。
季節の変わり目の精神的不調とサザエさん症候群が心を蝕む。
仕事のプレッシャーに押しつぶされそうだ。
単純に、仕事の負荷が急に増えたのが大きい。
配属して半年でプロジェクトを一人で回す立場になった。
経験を積むという口実で何から何までやっている。単純に人がいないからやらざるを得ないのだが同期たちと仕事量が違う気がする。
これだけの仕事を与えられたのは、よく言えばこれまでの自分の仕事ぶりが評価されたとも言えるけど、部署の抱える人不足によってそうせざるを得ないだけの気もする。
驚くほど多くの部署の人たち、取引先、更には海外の現地人とやり取りをしなければならずストレスが溜まる。意味不明な理由で怒られることもある。馬鹿じゃねーのこいつと思いながら謝るときもある。この前笑いながら謝っていたらしく後で先輩に注意された。
新人ならではの雑用が降ってくると、ホッとする。楽だから。
何やってんだろうと言う気持ちにもなる。
ストレスが溜まると心が荒み攻撃的になることがあり、ツイートも荒れるのはよろしくない。
何度修羅場をくぐったか。
これから、それが些細なことに思えるような大変な思いをするのだろう。気が重い。
これでもやってこれているのは部署の周りの方々が本当に良くしてくださるからだと思う。彼等も忙しいのに質問すると手を止めて親身になって教えてくれる。
これがなければ僕は潰れていただろう。
不思議と隣の芝が青く見えたことはない。
なんだかんだ充実感は感じているのかもしれない。よくわからない。
これでもサービス残業はしていないし、有給も取れる。余程の贅沢をしなければ生活するに困らない給料を貰える。
文句言ったら罰が当たるなあと思わなくもないが吐き出したほうが気が楽になるから吐き出している。
高校や大学の同期たちと飲みに行くと「働き方改革」など少しも浸透していない企業で働く人々ばかりだ。
皆有名大学を出て大手企業で働いているのだが。
官僚が一番忙しそうにしているのだから仕方ないか。
人間は意識から変えようとしても無理だ。まず行動を変えねばならぬ。
そういえば、社会人になってから性格が変わったと言われる。
少しは図太くなったらしい。
会社で心身を崩すのは避けたい。
そうなる前に助けを求めようと思っている。
プロジェクトも、担当する立場だが責任を持つ立場にいるのはもっと高い給料を貰う人達だ。
会社など無数にある。
君の分も生きるなんて言えない
学部時代、僕は精神的に追い詰められていた時期があった。
そんな時期に思わぬ悪い知らせが入った。
友人が亡くなった。
彼は自ら死を選んだ.
一緒によく遊ぶという程では無かったけど、授業や演習等で一緒になったりしてからはよく話したりしていた。
不思議と波長の合う友人だった。
学業面でも優秀だったし、真面目で穏やかで僕のつまらない冗談にも笑ってくれる人だった。
それぞれ違う研究室に配属されてからは、たまに大学の廊下ですれ違った時に少し話す程度になってしまっていたのだけれど。
彼が亡くなったという知らせを聞いて、僕は悲しかった。
僕の状況が状況だったので、彼の死で気が動転してしまった。
精神的に参ってしまっていたからか、死が身近というか、リアルに感じられて辛かったのだと、今になって思う。
そして何より、彼がいなくなってしまったことが悲しかった。
彼は、どんなに辛く、苦しかったのだろう。
お互い忙しく接点が少なくなってしまっていたとはいえ、廊下ですれ違った時に変わったことに気がつけてあげていれば・・・なんていうことでも自分を責めてしまう。
真面目な彼が、どれだけ苦しい思いをしたのか。
これからだというところで命を失った無念さ。
その人生は彼だけのもので、僕たちが生きることのできない人生。
君の分も生きるなんてことは絶対に言えない。
僕にできるのは,自分の「生」を噛みしめて毎日を生きることだ。
彼の死を、彼のことを、僕は一生忘れないと思う.